こんにちは、やまたんです。
prideは「自尊心」や「誇り」と
訳されます。
適度なプライドは、
健康な心をつくる大事な要素になります。
今回は、過剰なプライドについてのお話です。
「プライドが高い人」や
「プライドが邪魔をする」などの表現がありますね。
一見すると、自信に満ちていて、
自分の価値や存在意義を認めている…⁉
のですが、
実はこれ、
「条件つき」で認めているのです。
↓↓
例えば…
〇〇ができるから
〇〇を持っているから
〇〇だから
こういった評価も、もちろん、とても大事です。
必要なことです。
条件つきで認めた部分は「自信」になります。
こころの木の「葉の部分」にあたります。
↓↓
ここからがポイントです
↓↓
条件つきばかりが大きくなりすぎると、
心のバランスは崩れます。
(まさに木です。枝葉ばかりが大きくなりすぎると、根や幹が支えきれません。)
どのような問題が生じるかというと…
〇〇じゃない自分を認めない
(/認めてもらえない)
…存在価値がない
と思うために、
プライド高く誇示したり、
強がったり、
他者と比較して優劣をつけたり…
素の自分を見せることができない状態が生じます。
素の自分(現実の自分)
↑↓
認める自分(理想の自分)
二つの像の間にギャップが生じるので、
プライドが高い状態とは、実は自己受容が低い状態なのです。
プライド自体は、健康な心に必要です。
適度なプライドにするためには、
二つの像のギャップを縮めます。
「〇〇ができる自分はすごい!…でもできなくても、自分に価値はある」
条件が無い状態でも認められているよ
ありのままを見せてもOKだよ、
それでもいていいんだよ、
というように、認識を書き換えることが必要になります。
すなわち、自己受容を高める(ありのままを受け容れる)ことに繋がってくるのです。
自己受容について
↓↓